あゆみ
あゆみ
東京ほくと医療生協は様々な生い立ちや発展の違う3つの生協と社団法人の合併と合同で、現在にいたっています。発展の過程は地域の状況などによって違いはありますが、「住民の生活や健康を守る住民のための医療機関」として設立し、発展してきたということは共通しています。これからも住民の命と健康、生活を守る医療生協として奮闘をしていきます。
1)王子生協病院 (東京北部医療生活協同組合)
戦後の廃墟の中から労働者の生活と権利を守る闘いが高まり、北区でも「北区勤労者協同組合」(北区勤協)が結成され、食料難にあえいでいた労働者に対する物資の供給斡旋などを目的にした活動が行われていました。社会党片山内閣の「労働クラブ」建設構想に応え、北区勤協の代表者が集まり、1948年12月に現在の地に「労働者クラブ」を設立しました。当時は300人収容の大講堂、売店、保育園、診療所を擁していました。これが王子生協病院の前身の「労働者クラブ診療所」です。翌年1948年に公布された「消費生活協同組合法」の基づき「労働者クラブ生協」となりました。
診療所は地域の人々に支えられ1956年には病院に発展。人権ストと言われた近江絹糸の争議への医療班派遣、奄美の診療所建設のため医師と看護師の派遣など、民主的医療運動の先頭に立って奮闘してきました。
労働者クラブ生協は、病院(医療部)、購買・共同購入の事業部、保育園の三部門をもつ全国でも特異な総合生協でした。1968年保育園は老朽化した園舎の改築のため、公的資金の援助を受けるために、社会福祉法人として独立しました。医療部と事業部は、病院の増改築、事業部は豊島店の新築、浮間、滝野川への出店をきっかけに分離しました。医療部はあらたに東京北部医療生協として、王子生協病院の運営を始めました。
2)鹿浜診療所(足立保健生活協同組合)
1950年、鹿浜診療所の前身である「守る会診療所」が開設されました。当時、足立区新田は荒川と隅田川に囲まれた「陸の孤島」で、北区豊島町や神谷町との往来は隅田川を運行する「渡し船」が唯一の交通手段でした。しかも無医村のため夜間急病人がでても、翌朝まで待たなければいけないという地域でした。労働者の生活を守る闘いに呼応するように、東芝製鋼所の労働者と地域住民によって「生活を守る会」を設立し、民家を改造し診療所を開設しました。1955年「医療生活協同組合鹿浜診療所」と改組され、現在地に移転し有床診療所とし、お産や外科、脳外科の手術も行っていました。
1988年、東京北部医療生活協同組合と合併し現在に至っています。
3)北病院(北医療グループ)
北病院はK病院のS医師らの提唱で、1974年現在の地に44床の病院として開院されました。民医連には加盟していませんでしたが、よく似たスローガンで、「住民立病院」として、住民からの資金を集めて建設されました。当初から300床規模の病院をつくる目標を持ち、医療内容も次々と拡大し、積極的な活動をしていました。障害者列車「ひまわり号運動」は、北病院と地域住民、国鉄(当時)の労働組合の協力により始まり、全国に広がっていきました。障害者が列車に乗って旅にでることは、バリアーフリーの設備がほとんどない当時においては一大イベントでした。「ひまわり号運動」が駅のバリアーフリー化を推進する大きなきっかけになりました。
78年には151床、1982年、多額な資金をつぎ込み、東葛病院(現、東京勤医会)を開院しました。しかし1983年、関連の医療供給会社の不渡りを出したことにより、東葛病院、北病院とも連鎖倒産の状態となりました。その後、「北医療グループ」は東京民医連から医師、看護師などの幹部派遣を受けることになりました。北病院は89年専務理事、91年から医師3名が派遣され、92年民医連へ加盟しました。
1997年、北病院は東京北部医療生協と合同し、現在生協北診療所となっています。
4)荒川生協病院(荒川生活協同組合)
荒川生活協同組合は終戦直後の1946年、民主的運動として産声をあげた「三河島7丁目南協同購買組合」が母体となり、地域の人々の健康を守るセンターとして診療所創立運動として、1951年峡田(はけた)診療所を開設し、翌52年荒川生活協同組合を設立しました。生協活動では、全国の医療生協の雛型となる「班活動」をつくりだし、生協活動を先導してきました。1975年には荒川生協病院の開設、1993年、医療生協として全国第1号の訪問看護STを開設するなどして、地域に密着した活動を展開してきました。
年表
年 | トピックス |
1948 | 労働者クラブ診療所(王子生協病院の前身)開設 |
1949 | 労働者クラブ生協(東京北部医療生協の前身)設立 |
1950 | 守る会診療所(鹿浜診療所の前身)開設 |
1951 | 峡田診療所(荒川生協病院の前身)開設 |
1952 | 荒川生活協同組合設立 |
1955 | 足立保健生活協同組合設立 |
1956 | 労働者クラブ生協付属病院へ(25床・王子生協病院前身) |
1968 | 王子生協病院に名称変更 |
1973 | 北診療所(北病院の前身)開設 |
1974 | 北病院開設 |
1975 | 荒川生協病院開設 |
1979 | 東京北部医療生活協同組合設立 |
1987 | 王子生協病院増改築(149床) |
1988 | 足立保健生協(鹿浜診療所)と合併 |
赤羽東診療所開設 | |
1993 | 生協浮間診療所開設 |
荒川生協汐入診療所開設 | |
1994 | 王子生協病院歯科開設 |
荒川生協虹の訪問看護ST開設(医療生協として全国で初めて) | |
1995 | 阪神淡路大震災に医療支援(医師、看護師など派遣) |
1996 | 豊川通り診療所開設(往診専門診療所) |
1997 | 訪問看護STたんぽぽ開設 |
医療法人社団北病院と合同 | |
1998 | 王子訪問看護ST開設 |
十条訪問看護ST開設 | |
江北生協診療所開設 | |
北病院付属診療所開設(往診専門診療所) | |
1999 | 西日暮里訪問看護ST開設 |
荒川生協病院療養病床移行(35床) | |
ヘルパーST虹開設 | |
2000 | 北病院歯科開設 |
ヘルパーSTかたくり開設 | |
2001 | 東京北部家庭医療学センター開設 |
荒川生協と東京北部医療生協合併→東京ほくと医療生活協同組合設立 | |
2002 | 北足立生協診療所開設 |
ヘルパーSTすまいる開設 | |
2003 | ヘルパーSTかたくり開設 |
2004 | ヘルパーSTかたくり浮間開設 |
ヘルパーSTかたくり王子開設 | |
荒川生協病院の療養病棟廃止、診療所へ | |
北病院の2階病棟を一般病棟から療養病棟へ変更 | |
2005 | 短期入所施設あらかわ虹の里開設 |
王子生協病院の2階病棟を一般病棟から療養病棟へ変更 | |
2006 | 北病院療養病棟廃止、生協北診療所へ |
老人介護保健施設ほくとはなみずき開設(療養病棟からの転換) | |
ヘルパーSTかたくり、同かたくり王子を統合し、ヘルパーSTのぞみ | |
ヘルパーSTかたくり浮間名称変更、ヘルパーST生協浮間へ | |
臨時総代会にて王子生協病院の現地建替え方針決定 | |
2007 | 短期入所施設けやき開設 |
歯科を統合し、新築移転 生協王子歯科 | |
ヘルパーST生協浮間廃止 | |
2008 | 王子生協病院158床に増床 |
2009 | 通常総会にて王子生協病院現地建替え計画を決定 |
2010 | 3月、新病院現地建替え第1期棟建設工事開始 |
王子生協病院電子カルテ導入 | |
地域ケアセンターはけた開設 | |
日本医療福祉生活協同組合連合会(医療福祉生協連)設立・加盟 | |
2011 | 認知症対応型グループホーム ほくと ひまわりの家開設 |
10月、王子生協病院第1期棟完成・診療開始(111床) | |
2012 | 都市型軽費老人ホーム ほくと西尾久虹の家開設 |
鹿浜診療所デイサービス廃止 | |
デイサービスセンターなでしこ開設 | |
訪問看護STなでしこ開設 | |
居宅介護支援事業所なでしこ開設 | |
2013 | ヘルパーSTすまいる廃止 |
短期入所施設あらかわ虹の里廃止 | |
短期入所施設けやき廃止 | |
老人介護保健施設ほくとはなみずき53床に増床 | |
王子生協病院 全館オープン 177床に増床(一般2病棟、障害者病棟、回復期リハビリ病棟) | |
2014 | 王子生協病院 緩和ケア病棟(北区で初めて)オープン。 一般1病棟の転換(159床) |
豊川通り診療所廃止(王子生協病院在宅医療部へ) | |
王子生協病院 日本医療機能評価機構認定病院へ | |
2015 | 王子生協病院 無料低額診療事業開始 |