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東京ほくと震災支援

No.8_「こころとこころが地域をつなぐ」小名浜生協病院支援報告

 小名浜医療生協病院に4月25日から看護支援に行って来ました。私は附属クリニックで支援させて頂いたので患者さんの辛さ、苦しい心のうちを肌で感じることが出来、いかにこの震災が厳しいものであったのかを痛感しました。
クリニックに通院される患者さんは普通に受診されているようでも、「地震は大丈夫でしたか?」と声を掛けると自らの辛さを話してくれました。
「津波で家も想い出も全て無くなりました。」と涙ぐむ方。避難所から通院し「私達の病院が無事で良かった」と津波で家を失っているのに病院の心配をしてくださる方。 震災後、避難所生活を強いられ、食欲不振、眩暈を訴え毎日点滴を希望される方。高齢のお母さんと避難所を転々とし、「避難所のストレスで母は亡くなったと思うの…」と泣かれる方。他県に避難し薬を一ヶ月も内服していなかった方。沢山の患者さんの悲しみ、辛さ、不安に接し、私は胸がつまりました。
そんな中、クリニックの看護師は自らも被災者でありながら、真正面から患者さんと向き合い、患者さんの辛さ、悲しみを全て受け止め、寄り添っていました。患者さんも看護師には本音を語ることができ、重い荷物を一つ降ろす事が出来たかのように笑顔になって帰宅していきます。
被災地のために役に立ちたいと意気込んで支援に行った私でしたが、実際、大それた事等何もできず、看護師として、人として患者さんの話しを聞くことだけでした。しかし、心と心のつながりが、今、被災地で頑張って生きている方々にとって一番必要な事だったのだと感じました。
又福島県は地震、津波の被害だけではなく、福島原発の問題もあります。いわき市に住む若い方は放射能汚染を恐れて子供を連れて転居するという方も居て、小さい子を抱えて働く看護師は不安に脅えながらも患者さんのためにと、この地を離れずに頑張っています。地震、津波、放射能汚染の三重の苦しみを受けている福島県。原子力に頼ってきた社会を今こそ、見直す必要を感じます。
4月29日全日本民医連の方々、小名浜医療生協の方々と一緒に地域訪問をしました。「お助け隊」を作り高齢者を中心に瓦礫の片付けや畳あげ、ドアの修理など困っている方への援助を積極的にされていました。組合員さんの有無を問わず地域に貢献している姿はすばらしいと思いました。これが民医連、これが医療福祉生協すばらしさだと、自らも同じ仲間であることが誇らしく感じた時間でした。
小名浜港から豊間地域までの海岸線を車で走ると、津波によって失われた悲しい現実を直視。これは現実なのだろうか?陸に横たわる船、歩いても歩いても瓦礫の山が続く海岸。間近に聞こえる波音に恐怖さえ覚え、犠牲になられた方々のご冥福を祈らずにはいられませんでした。大自然が起こした猛威の前に、ただ立ち尽くす事しか出来ない無力な自分がそこにありました。今も尚、避難所生活を余儀なくされている方が沢山居るという現実、福島第一原発の事故、東北地方の医療機関の減少問題、課題は山積みです。医療支援と同時に地域の生活支援も急務です。今、私たちは困難な時代に生を受け、自分に出来ることは何かを問われているのではないでしょうか。
事務局の方から、震災後一ヶ月経ち「町作りという段階に入っている」というお話しがありました。今こそ、民医連、医療生協の頑張りが必要だと思います。
『がんばっぺ!いわき』と書かれたシールが街の色々な場所に貼られていましたが、私も心からエールを送らせていただきます。
『がんばっぺ!小名浜医療生協』『がんばっぺ!東日本』 私達、民医連、医療生協は一つです。
小名浜を離れる前日、海岸の方向に、虹がかかりました。
医療生協のシンボルマークは虹です。
こんな私でも架け橋にならせて頂きたいと誓いました。

2011/5/2
王子訪問看護ステーション  所長  松本敬子


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No.7_大震災支援金へのご協力ありがとうございました。

 4月末日までの支援金の総額は5,516,549円となりました。
4,369,149円については、既に全日本民医連と医療福祉生活協同組合連合会を通して被災した自治体へお届けさせていただきました。
残金について同様の処理をさせていただきます。

東京ほくと医療生協は連休を挟んで職員を被災地に医療支援を送りだしました。
5月11日〜17日まで、宮城県塩釜の坂総合病院へ事務を派遣します。


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No.6_東京ほくと医療生協の第2陣以降の支援について。

  • 4月4日〜5月3日 医師  日本プライマリー学会からの支援要請
    岩手県石巻市内を中心に避難所や在宅、行政とのコディネートなどを行っているとのことです。帰院後レポートをアップします。

 

予定

  • 4月24日〜4月28日 医師 所属:王子生協病院
      支援先:坂総合病院(宮城県塩釜市)
  • 4月24日〜4月27日 歯科技工士  所属:生協王子歯科
      支援先:坂総合病院/松島医療生協(宮城県塩釜市/松島町)
  • 4月25日〜4月30日 看護師 所属:王子訪問看護ステーション
      支援先:小名浜生協病院(福島県いわき市)
  • 4月27日〜5月1日 ケアマネ 所属:地域ケアセンターわかば
      支援先:坂総合病院(宮城県塩釜市)
  • 5月1日〜5月4日 看護師2名 所属:王子生協病院
      支援先:坂総合病院(宮城県塩釜市)



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No.5_義援金の合計480万円を超えました。引き続きご協力をお願いします。

 集めた義援金は全日本民医連と医療福祉生活協同組合を通して被災地へ届けられています。 医療福祉生協連は被災された宮城、岩手、福島の3県と市町村へ義援金として、会長理事、専務理事が届けさせていただきました。ありがとうございました。



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No.4_3月19日早朝第2陣を送り出しました。

 3/19午前6時に王子生協病院前を上記7人が2台の車で出発しました。第1陣の報告を受けて、インフルエンザなどの感染症のための医薬品などを持参します。また、現地での移動手段として、職員から提供された折りたたみ自転車も積み込みました。帰りは21日です。

写真

 右から永田拓也医師(王子生協病院)・高橋慶医師(赤羽東診療所所長)・松木久美子看護師(看護学生室)・伊藤雅天医師(王子生協病院)・川口太郎さん(生協北診療所事務)・菅原晴美看護師(訪問看護ステーションたんぽぽ)・森徹哉さん(荒川生協診療所事務)

 

日本プライマリー学会からの支援要請を受けて菅野医師が福島へ

写真 荒川生協診療所所長・菅野哲也医師はプライマリーケア学会の派遣で福島県天栄村湯本診療所に1週間支援に向かいます。昨日、壮行会(写真左)を荒川生協診療所で行いました。菅野医師が留守の間、以前生協浮間診療所で診療していた山下医師(オレゴン大学)が荒川生協診療所で診療に当たります。


多くのカンパ、支援物資を頂きありがとうございます。

 生協組合員・地域の皆さま、職員から毛布をはじめ多くの支援物資を頂きありがとうございます。派遣チームや東京民医連を通して現地へ搬入しています。とても多くの物資をいただきましたので当面支援物資の募集は中止します。今後、どこに何が必要かも含めて検討して、再度物資支援をお願いすることになります。今後ともよろしくお願いします。
 義援金については、各事業所の窓口や銀行振り込みで募集を継続しています。3月18日時点で40万円が寄せられています。義援金は民医連や医療福祉生協連を通して届けます。
 また、今後は福島や岩手への支援についても検討していきます。

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No.3_大震災医療支援チームの第一陣が17日帰院しました。

写真 17日午後6時に第1陣の医療支援の仲間が戻ってきました。
今泉貴雄医師・乾いつ子看護師・奈良遙看護師・事務職の森松伸治さん、吉野浩司さんの5人、お疲れ様でした。
 フジTVの取材が入り、車から降りた途端に今泉医師のインタビューとなりました。(写真右・18日放映されました)
写真 その後、第1陣と19日から派遣される第2陣メンバーとの打ち合わせがあり、現地の状況と物資への提案がありました。
 坂総合病院は、現在約350床ですが緊急に390床までの許可をとり患者さんを受け入れています。救急対応では低体温の方が多く、救急搬入での死亡対応や、慢性疾患、水につかり角膜の異常などがみられます。


参加看護師手記

    東日本大震災の支援に参加して

2011年3月18日王子生協病院 外来 乾


 被災地に王子生協病院から、医療班として医師2名NS2名 事務2名は3/15〜18 第1陣で朝6時に出発しました。高速道路ではPAは閉店、トイレ使用は出来ても水が出ない、トイレの悪臭、那須高原過ぎた所で道路にひび割れデコボコがあった。被災状況は報道の通り。12時30分に坂総合病院に到着し、医師1名は、即、水死体の検死に行動 看護師は救急外来の夜勤支援に入りました。救急外来では、被災直後から2名在宅酸素の方が狭いベッドで寝泊りされている。食事は1個のパンを1日分として自分で準備され「寝ているだけだからおなか空かないから」自分に言い聞かせながら我慢。また、高齢の男性は「おなか空いた」と言い続けるが食料がなく水で我慢してねと1口2口呑んで我慢。
90歳の男性は首まで水につかり、熱が出ていたが、家族は5日間我慢させていた、受診したときは低体温のため感染症で入院、期限切れの食物を食べて嘔吐、下痢、腹痛の方、心臓や高血圧の薬がなく服用していない。
がん終末期の方が不安増強で痛い痛いと疼痛場所が不明、病院に来たことで安心し痛み消失。救急車で来ても帰宅時の靴がない、ビニール袋を足に巻いて自宅や避難所へ帰宅となる。でも、帰宅できない人はボランテイア送迎又は朝まで病院で待機、トイレに行きたくても尿器がないビニール袋を使用。急性盲腸で緊急手術、糖尿病の悪化等など。
 受診される患者さんは5日目のためか酷く泥まみれという人はいませんでした。受診患者は自宅より避難所からが多かった。患者の中には、119を呼んでも繋がらない、市役所も連絡取れない、避難所に行くしかないのかと尋ねる方もいた。 家族がいて受診できる人、119が偶々繋がった人何らかの手段で受診できる人は良いが、具合が悪くても連絡の手段がない人は我慢するしかない。
 避難所は、子供たちは外出できず室内遊びも限定。高齢者は毛布をかけて寝るか座っているか筋力低下が進み廃用症候群が進むのではないか トイレを我慢するため、水分を控えているそのため持病の悪化、寒くて低体温。
坂病院の入院食は18日まで持つ、医材料は点滴ボトル・薬は最小限で使用中。節減し水、電気は使用可能。患者に点滴するかどうかは採血の結果で実施。内服処方は何度も受診できないから多めに希望されても1,2回分しか処方できない、患者の不安は増強。
 被災者の疲労、不眠不安の増強 医療班としては地域や避難所訪問したいが、放射能放出やガソリン不足のため訪問行動できない。寝るのを惜しまず支援協力したいがいろんな制限があり残念であった。病院の職員の方も亡くなったがいる中、職員はいつまで続くか期限なしの現場で頑張り続けている。王子生協病院も第2,3陣と支援し続けたいと思っている。


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No.2_東日本大震災への医療支援チーム(第一陣)を派遣しました。

写真

 宮城・塩釜市の坂総合病院に向けて第1陣の支援メンバーが、15日午前6時に王子生協病院を出発しました。写真左から王子生協病院外来の乾いつ子看護師長、豊川通り診療所の今泉貴雄所長、荒川生協診療所の奈良遙看護師、組織部の森松伸治、王子生協病院医事課の吉野浩司の5人です。

 

 東京ほくと医療生協では、大場理事長を本部長に、坂井専務理事をはじめ法人事務局メンバーを先頭に、緊急支援会議を開催しました。まず第1陣の派遣を行い、第2陣派遣を19日(18日から変更)から行います。医師はじめ職員から派遣参加の名乗りが上がってきています。


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No.1_東日本大震災の募金活動を開始しました。

 今回の震災で亡くなられたかたのご冥福をお祈りいたします。
東京ほくと医療生協では、職員や各事業所で「支援金」のカンパ、募金活動を開始します。
集めた支援金は、全日本民主医療機関連合会・日本医療福祉生協連合会を通して募金をします。

振込口座
三井住友銀行(銀行コード:0009)
神田支店    (支店コード:219)
普通預金   7733589
名義   東京ほくと医療生活協同組合(トウキョウホクトイリョウセイカツキョウドウクミアイ)



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